財団紹介

設立の経緯

財団法人共済団は、名古屋大学医学部及び同附属病院の前身である愛知医科大学、愛知県立医学専門学校及び愛知県立愛知病院の職員・学生生徒に学事上の便宜を与えるとともに、入院患者の慰安・救援を目的として、当時の愛知医科大学長(愛知県立愛知病院長)の山崎正董(やまさきまさただ)教授及び脇屋義純事務部長の提唱により、両氏の賛同を得た大学職員の寄附金によって設立されました。
許可者は、中橋徳五郎文部大臣(当時)であり、「共済団」の名称は、「三国志」及び「宋史欧陽修伝」に由来するもので、山崎学長が命名されました。

<「共済」の出典>

三国志註
「魯粛曰孫討虜江表英豪咸帰附之。今与賢良共済世道。」
「魯粛曰く、孫(孫権)が虜を討つとき、江表の英豪悉くこれに帰附す。今賢良と共に世道を済う。」

宋史欧陽修伝
「君子所守者道義。所行者忠信。所惜者名節。以之修身則同道而相益。以之事国則同心而共済。」
「君子の守る所の者は道義なり。惜しむ所の者は名節なり。これを以って身を修れば則ち道を同じくして相益し、これを以って国に事うるとき則ち心を同じくして共に済う。」